結局、当日の朝になってもマレウスは現れなかった。
「もしかして、約束を忘れちゃったのかしら?でもマレウスに限ってそれは……」
そこまで考えて、はふと別の危惧すべき点を思い出す。マレウス…というより妖精は時間の概念が曖昧なのだ。集合時間を失念していた可能性がある。
「どうしたの?まだツノ太郎来ない?」
窓の外を眺めていたに、が声を掛ける。手には旅行用の鞄が下げられており、準備はバッチリと言ったいで立ちだ。その後ろから、グリムもひょっこりと顔を出す。
「早くしないと集合時間に遅れちまうんだゾ!」
「え、えぇ、そうよね。じゃあもう行きましょうか」
「待ってなくていいの?」
「仕方ないもの。マレウスには書置きをしていくわ」
残念だが、このまま待っていては本当に置いて行かれてしまう。今回は気持ちだけ受け取っておくことにしよう。そう決めたはマレウスにわかるよう書置きを残して、オンボロ寮を後にした。
それから三人はカリムとジャミル、そしてケイトとその同行者であるトレイと合流し、鏡の間へと向かう。
「皆さんおはようございます」
「おはようございます、学園長。今日は闇の鏡を使わせてくれてありがとうございます」
「ほんとほんと、助かったぜ!」
鏡の間にはもう学園長が待機しており、闇の鏡も準備万端のようだった。一見ただの鏡のようにしか見えないそれが、熱砂の国へと続いているのだと思うとなんだか不思議な気分になる。
だがそれよりも、闇の鏡の前に立っていた人物にの目はくぎ付けになった。
「マレウス?!」
「おはよう」
「あ、おはよう……じゃなくて!なんでここに!」
出かける前におまじないをしてくれるとは言っていたが、まさか本当に直前で待っているとは。
「なんだ……ここで待ってるのなら、先に言ってくれれば良かったのに」
オンボロ寮でソワソワしながら待っていたのが無駄になってしまい、は脱力する。
「今回の旅には僕も同行させてもらうからな。直接ここへ赴いた方が早いだろう?」
「えーーーっ!?」
に加え、横で二人の会話を聞いていたジャミル、ケイト、トレイ、グリムの声が見事に重なり、鏡の間に響き渡る。
「リリア先輩、シルバーではなくて、マレウス先輩を誘ったのか!?」
「リリアちゃんそうきたかー。これは予想外」
「てっきりおまじないをしに来てくれただけかと思ったわ……」
よくよく思い出してみると、旅行の話をした時のマレウスはどうも何かを隠している節があった。きっとあの時にはもう同行するのを決めていて、わざと黙っていたのだろう。
「次期王である僕は、茨の谷を出る事がほとんどない。もっと見聞を広げたいとは思っているが、元老院の連中がいろいろとうるさくてな。それでリリアがこの旅に誘ってくれたんだ。学園に通っている今くらい、気ままに旅を楽しんでもいいだろう……と言っていた」
「あれ?でも肝心のリリアがいないぞ?」
カリムが指摘した通り、この場にリリアの姿はない。
「あぁ、今朝になって急な腹痛に襲われて、体調を崩してしまったんだ」
「それは大変…!リリア先輩は大丈夫なの?」
「リリア曰く、昨日食べたものの「あたりが悪かった」らしい。今は床に伏して、シルバーたちが看病しているところだ」
あたりが悪かった、との言葉に、リリアの手料理の腕を知る者は黙り込む。あの料理を日ごろから食べているという事実にも驚きだし、そうして耐性が出来ているであろうリリアですら寝込む料理。想像しただけで胃もたれがしそうだ。
「だから、参加するのは僕一人だ」
「えーーーーーーっ!!!???」
料理への驚きが冷めぬ前に追加された爆弾発言に、先ほどよりも大きな驚きが皆を包み込む。マレウスが参加することだけでも信じられないのに、その上一人で参加するとは。完全に想定外の事態だ。
「連れの者なしで旅行をするのは初めてだが……リリアのためにも、今回は存分に熱砂の国を堪能しよう」
「護衛無しの旅行は初めて……!?」
マレウスの言葉を受け、ジャミルが信じられないといった顔をする。同行者が王族というリスクに加え、護衛もなしというのはさすがに荷が重いのだろう。だがカリムはそんな事など全く気にしていないようで、うんうんと頷きマレウスに共感を示した。
「わかるぜ。オレもジャミルと離れて出かける事なんて滅多にない。でもそういう事情なら仕方ないよな!リリアが来られないのはすごく残念だけど……アイツの分まで最高の経験をさせてやるぜ、マレウス!熱砂の国をたっぷり堪能してくれ!」
「ちょっと待てーーー!!!!」
このままいい雰囲気の流れで話がまとまりそうだったところを、ジャミルが必死に止める。
「カリム……マレウス先輩は茨の谷の王族なんだぞ」
「ん?だから、なんなんだ?」
「なんなんだって……お目付け役のリリア先輩がいない中、もしもマレウス先輩の身になにかあったらどうする!外交問題に発展するかもしれない!俺たちの手には負えないぞ!」
ジャミルの言う通り、マレウスの身にもしもの事があれば大変なことになる。そしてそれは個人の問題には留まらず、国家間を揺るがす事態になりかねないのだ。
だがそんなジャミルの必死の説得を聞いて、マレウスは思うところがあったらしい。はたからみても明らかに機嫌を損ねたのがわかる顔で、マレウスはジャミルに反論する。
「お前程度に心配されるほど、僕はやわではない」
「そ、それはそうかもしれませんが……」
「どうしたバイパー。その表情……もしや僕が来ては迷惑だったか?」
「いえ、いえいえまさか!マレウス先輩にわざわざお越しいただいて、迷惑だなんてそんな……!」
「誘われたと思ったが……手違いだったか?僕は勝手に押しかけたということだろうか」
「そ、そういうわけでは……!」
雲行きの怪しくなる会話に加えて、どこからともなく遠雷まで聞こえてきた。これはもしかしなくても、マレウスが不機嫌になっているせいだろう。
そんな様子を見兼ねてか、学園長がどちらへともなく助け舟を出す。
「ドラコニアくんから聞いたのですが、3時間前からここに立って、待っていたようですよ」
「うわっ!マレウスくん、めっちゃ楽しみにしてんじゃん!」
VDCの時も二時間前には会場入りをしようとしていたし、やたら早い時間に集合場所へ出向いていたのはなんともマレウスらしい。そしてそれは大概、マレウスにとってとても楽しみにしていたものであることが多い。そう考えると、この旅行への同行を拒否するのは少々可哀想に思えてくる。
「なぁジャミル、何を大げさに考えてるんだよ。オレは友達を生まれ故郷に連れて行くだけだ。普通のことじゃないか」
「ああ、単なる学友であるお前の故郷へ行くのに、問題があるのか?」
「い、いえ、問題はないのですが……」
マレウスに加えてカリムの援護も加わり、ジャミルの勢いは次第に下火になる。そして結局はは言いくるめられ、苦虫をかみつぶしたような顔でこう答えた。
「……し、仕方ない。マレウス先輩1人で来てもらうしかなさそうだ」
「良かったわねマレウス!」
今までの流れを静観していたは、嬉しそうに笑いかける。リリアも一緒に旅行に行くと決まった時から、マレウスにも来てもらえればいいと思っていたのだ。その願いが叶って嬉しいのだろう。
「ああ、これで問題なくお前を助けることが出来るな」
「助ける……?あ!もしかして、おまじないのこと?」
余りに想定外の出来事が多すぎてすっかり忘れていたが……が危惧している問題は、これから先が本番なのだ。それを思い出しまた不安そうな顔を浮かべるに、マレウスは優しく声を掛けた。
「左手を出せ」
「?こう……?」
が手を差し伸べると、マレウスはの薬指に指輪を嵌める。
「これは魔法が込められた特別な指輪だ。これを嵌めていれば、お前の魔力は強化される。もともと移動の条件に魔力が関与しているなら、補助的な役割を果たすだろう。それ以外にも様々な加護を与えてあるから、きっと良く働くはずだ。そして……」
マレウスはそこでいったん言葉を切ると、嬉しそうにを見つめる。
「今回は僕も同行できるからな。それでも足りない時は、僕が助けてやれる。それなら不安はないだろう?」
「っ!」
マレウスの言葉に、の涙腺が一気に緩む。気にしてくれていたことはもちろん、こんなにも親身になって助けてくれるなんて。マレウスの優しさが指輪から伝わり、の胸の中が一気に温かくなった。これなら絶対上手くいくに違いない。
「貴方が助けてくれるのならきっと大丈夫だって思えるわ。ありがとう、マレウス!」
「ああ」
「おいオマエら!早く熱砂の国に行くんだゾ!」
待ちきれないといった様子でグリムが騒ぎ出す。
「それでは、みなさん行ってらっしゃい!あ、休暇中にトラブルが起こっても、私には全然関係ありませんからね!」
学園長の声に見送られ、一同は鏡の前に立った。
「熱砂の国へレッツゴーなんだゾ!」
ジャミルを先頭にしてカリム、、グリムが続き、次いでトレイとケイトが鏡を潜っていく。もそれに倣って前へ進むが、いざ鏡の前に立つとほんの少しだけ恐怖が過った。だが左手を胸の前できゅっと握りしめると、意を決して鏡へと足を踏み入れた。