賑やかな声に紛れて聞こえてきた泣き声に、の手が止まる。
「どうかしたのか?」
「えっと……なんだか、泣いてる声が聞こえるから」
周囲を見回すと、数件離れた店の軒下で赤ん坊が泣いているのが目に入った。近くにはよりも幼い少女がおり、店番の最中なのか辺りに気を配りながら、必死に赤ん坊を泣き止まそうとしている。だがぬいぐるみを与えてみても、哺乳瓶を咥えさせてもなしのつぶて。何をしても一向に泣き止まない赤ん坊に、少女も泣きそうな顔をしていた。
「ああ、あれか。あれは多分、眠くて癇癪を起しているのだろう」
「マレウスわかるの?」
「リリアに聞いたことがある」
少女の傍に大人の姿はなく、道行く人々も五月蠅そうにそちらに目を向けては過ぎ去るばかり。そんな姿を見て放っておけるはずもなく、の足は自然とそちらに向かっていた。
「ねぇ、ちょっといいかしら」
「っ!」
いきなり声を掛けられた少女は、びくりと肩を震わせる。は出来るだけ不安を与えないよう、しゃがみこんで視線を少女に合わせた。
「ごめんなさい、驚かす気はなかったの。私ね、赤ちゃんを眠らせるのが得意なの。だから少しだけお手伝いさせてもらってもいいかしら?」
急な申し出に少女は不審そうな顔をしたが、その間もずっと赤ん坊は泣き続けている。ついに少女は折れ、の言葉に頷いた。
「じゃあ少しの間だけ、耳をふさいでもらってもいい?もしかしたら、貴女も寝ちゃうかもしれないから」
の歌には、眠りの魔法が込められる。それは無意識によるもので、何を歌っても確実に子守唄になるという普段ははた迷惑な代物だ。だがこういった時にはうってつけの能力で、それを活用して赤ん坊を眠らせようと考えたのだ。しかし範囲を選択することが出来ないので、周囲の人間はほぼ全員がその魔法にかかってしまう。それを防ぐために、少女には耳を塞ぐようお願いしたのだが。
「その必要は無い」
マレウスはいつの間にかの隣に立ち、店先に置いてあった弦楽器を手に取る。
「これを借りるぞ、ヒトの子」
一般的な成人男性よりも頭一つ飛び出ている上に、ツノまである大きなマレウスに威圧され、少女は瞳いっぱいに涙を浮かべる。だがの同行者だとわかると、先ほどと同じように黙って小さく頷いた。マレウスは弦楽器を数度鳴らしただけで勝手を掴んだようで、すぐに綺麗な音を奏で出す。
「歌の効果の範囲調整は僕がしてやろう。だから安心して歌うと良い」
の意図を理解したマレウスは、弦楽器に魔力を乗せることで歌の魔法の調整を図るつもりなのだ。
「ありがとうマレウス!」
はお礼を述べると、大きく深呼吸する。そしてマレウスに目配せすると、ゆっくりと子守唄を歌い始めた。マレウスに教えてもらった、茨の谷の子守唄だ。弦楽器の音色に合わせて歌がバザール一体に響きだすと、込められた魔力によって赤ん坊はあっという間に眠ってしまった。
「すごい…!もうねちゃった!」
赤ん坊が起きないように小さな声で、少女は感嘆の言葉を紡ぐ。
「まほうみたい!」
「みたい、じゃなくて魔法よ」
が微笑むと、少女はきらきらとした目でを見つめた。次いで、ぱらぱらと拍手をする音が周囲から聞こえてくる。
「?」
どうやら通行人にも一部始終を見られていたらしい。確かにこんな人通りの多い場所で演奏すれば、目を引いてしまうのは当然である。中には見世物と勘違いをした人が、投げ銭までしてきた。
「赤ちゃんが起きちゃうから、出来ればお静かに…!」
慌てて止めに入ると、周囲の人間ははっとしたように拍手を止めた。
すると、今度は少女の母親と思しき人物が駆け寄ってくる。どうやらこの人だかりが自分の店の前で起きていることを知り、慌てて戻ってきたらしい。少女からことの顛末を聞くと、とマレウスに何度も頭を下げてお礼を述べる。
「本当にありがとうございました。なにかお礼をさせてください…!」
「そんな!気にしないでください」
「それでは気が収まりません。なにかうちの商品でお渡しできそうなもの…」
「おかあさん、これがいい!」
そう言って少女が手に取ったのは、金細工の小さなアクセサリーだった。花火大会のモチーフになっているジャスミンを模したそれは、少女の掌の中できらりと光る。
「おねえちゃんと、ツノのおにいちゃん!おそろいでつけて!」
「いいの?」
「うん!」
念のため視線を向けて伺いを立てれば、母親は優しく頷く。は少女からアクセサリーを受け取ると、それを髪に飾った。
「こんな感じかしら?」
マレウスも少女から同じものを受け取ると、に倣ってバンダナに着ける。その様子に少女は満足し、満面の笑みを浮かべた。