ありがとうを貴方へ



今日のリヴァエルの城は、いつもと雰囲気が違っていた。
初めは収穫祭のシーズンだからかと思ったが、どうも違う。風景は変わらないのに、少しだけ空気が違うのだ。そんななんとも言えない空気感を肌で感じながら、は城の長い廊下を歩く。目指すはハクの部屋だ。
「こんにちはハク。よ、入ってもいいかしら?」
軽くノックをして扉越しに声をかければ、少しして許可する声が聞こえてくる。扉を開ければ、そこには普段と変わらぬ様子で読書に勤しむハクの姿があった。
「今日は何の用だ」
いつもと変わらぬ問い。ここまで普通だと、先ほどまで感じていた気持ちは気のせいだったのではと思ってくる。
「また書庫の本を見せてもらおうと思って。今日は西側のエリアを探すつもりなの」
がこの城に来訪した元々の理由は、リヴァエルに収監されたかもしれない妖精の魔導書を探す為だ。 だがここは噂に名高い本の国。城には国内最大級の書庫があり、とても一日で回れる広さではない。 なのでこうやって足しげく通っては蔵書を確認させてもらっているのだ。
「それなら構わない」
「ハクはどうする?また何か一緒に本を探す?」
「いや、俺はいい」
素っ気ない態度もいつもと変わらない。
「……ねぇハク」
「なんだ」
「今日って何か特別な予定とかある?」
「予定…?特にはないが」
「そう…ならいいの」
「………?」
「ちょっと気になっただけだから気にしないで。じゃあ探し終わったらまた来るわね」
「ああ」
確信的なものがない以上、この話の更なる発展は望めないだろう。話が終わるとハクはまた視線を本へと移してしまうが、それも通常通りなのではそのまま部屋を後にした。





書庫へと到着すると、は瞳を閉じて意識を集中させる。 微かに感じられる魔導書の気配を辿り本の大まかな位置を探るためだ。だが今日はなぜか魔導書のものとは別の、なんとも形容しがたい気配が意識に入り込んできた。
「ん…?」
気のせいかと思い集中しなおすが、その”気配”は何度も何度も思考に介在してくる。
「………」
何度も。
「………」
繰り返し。
あまりにしつこいので、は諦めて先にそちらに向かう事にした。ほどなくして着いたのは、厳重に管理されていると思しきエリアの一角。 本来なら入る事すら拒否されるであろう場所だが、今はハクに許可をもらっているのではなんのお咎めもなしに入る事ができた。そこでようやく見つけたのは、一冊の古い本だった。
「私を呼んでいたのはあなたなの?」
本の中に住まう妖精に問いかけると、妖精は静かに頷いた。そして中から一枚の紙を取り出す。
「これって…写真?」
古いせいかだいぶ色褪せてしまっているが、そこには生まれたばかりの幼子が写っている。リヴァエルの重要書物の中にあった写真……この面影はもしや。
「ハク?」
妖精はまた頷くと、次は写真の裏を指差す。
「後ろ…あ、日付?10月6日って…もしかしなくても今日じゃない!」
そこではふと、先ほどまで感じていた特別な空気感の意味を理解した。今日は王子の誕生日。だから全体的に城の雰囲気が浮ついていたのだ。だが、もし誕生日なのだとしたらもっと盛大に祝うのがセオリーだろう。それこそ国をあげてお祝いしてもおかしくないはず。
「なにか理由があるのかしら?」
その理由を知るべく、は大急ぎでハクの元へと戻った。





が部屋へと戻ると、ハクは先ほどと寸分たがわぬ様子で読書を続けていた。
「ねえハク、今日貴方の誕生日でしょう」
「……は?」
怪訝そうな顔を向けられ一瞬間違いなのでは、と思ってしまったが写真の日付は明らかに今日だったのだからここで怯むわけにはいかない。
「書庫に置いてあった本の中からこの写真を見つけたの。これハクよね?」
「……あぁ」
一瞬の躊躇いのあと、ハクは頷く。
「だったらお祝いしなきゃ!誕生日ってそういうものでしょ?」
「必要ない」
「何故?」
「誕生日とは生まれたことを祝う日だろう。だから俺には必要ない」
「!」
必要ない。
ハクの言葉に、の心の中が一気に冷たくなった。
「………?」
驚いた顔をするハク。気づくと、の瞳からは涙が溢れていた。
「必要なくなんかない…!」
生まれた事を祝う必要がないだなんて、そんなの間違ってる。
「ねぇハク?生まれた事が嬉しくなかったら、こんな素敵な写真残してないわ。 それにね、この城には今不思議な空気で溢れてるの。初めはそれがなんだかわからなかったけど、今ならわかるわ。 きっとみんな貴方の誕生日をお祝いしたくてそわそわしてたの」
は涙をぬぐうと、真っすぐにハクを見つめる。
「少なくとも、私は貴方の事をお祝いしたい。だからお願い。必要ないなんて寂しい事言わないで」
「………」
ハクはしばらくの間視線を彷徨わせたが、ほどなくして口を開いた。
「……悪かった」
「っ!」
その返答に思わず力が抜けた。ハクらしいといえばらしいが、欲しかった言葉はそれじゃない。は困ったように笑い、ハクに語り掛ける。
「違うわ。こういう時はお礼を言うの」
「そうなのか?」
「ええ。だからもう一回」
「ありがとう…?」
「そう!」
嬉しそうなにつられ、ハクの表情も幾分穏やかなものになる。
「そうだ!客間を一つ借りてもいいかしら?」
「何をする気だ?」
「もちろん誕生パーティーよ。ケーキとディナーと、それからプレゼントも!今日中に用意するんだから急がなきゃ! お城の人たちにも参加してもらうからそのつもりでね」
きっとみんな、誘えば喜んで協力してくれるに違いない。段取りを頭の中で組み立てながら、は扉を開く。だがその前に大事な事を思い出し、ハクの方へと向き直った。
「ねぇハク」
「?」
「お誕生日おめでとう!貴方が生まれてきてくれて、貴方に出会えて良かったわ!」
「……あぁ、ありがとう」
その後急遽執り行われたハク王子の誕生パーティーは、城下の人間まで集めた活気溢れるものとなった。そしてそれは、今までて一番優しい空気に溢れていたという。