欠けた心の示す先



 皆既月蝕が見れると小耳に挟んだから、せっかくだし鑑賞でもしようかと思い外に出た。だが空は生憎の曇りで、目の前に広がるのは灰色の雲だけ。寮の外には同じように月蝕を観測しにきた生徒がちらほらと見受けられたが、皆空模様を見るや肩を落とし、自室へと戻っていく。なので今この場に居るのは、リリアとのみだった。
「どうやら今日の天気はあまり良くないようだね。空気もそうだし、皆落胆しているようだから」
「あぁ、雲しか見えんの」
「それは残念だ」
 もう少し風でも吹けばまた変わったかもしれないが、幸か不幸か穏やかなそよ風しか感じない。このまま待っていたとしても、晴れ間は期待できないだろう。
「そういえば、マレウスはどうしたんだい?もしかしてまた迷子とか?」
 彼の性質によるものなのか、はたまた妖精としての大らかな感覚のせいか、マレウスはよく行方不明になる。もし今回もそうなのだとしたら、自分とここにいるよりも早く探しに行った方が良いのではないか。だってリリアは彼のお目付け役なのだから。それに結果的に見えなかったとはいえ特別な天体ショー。こういう日は自分より、マレウスを誘うべきだろうに。
 そう続けるの言葉に、リリアは少し不満げに答えた。
「何やら先約があるらしく断られてしまったんじゃよ。わしの誘いを蹴るとは、あやつも偉くなったのう」
 内容には棘があるが、その声色は優しさで溢れている。マレウスが外の世界で新しい交流関係を育んでいるのが、嬉しくして仕方ないのだろう。
「なるほど。それで、子離れが寂しくて僕を誘ったわけかい」
「なんじゃ?一番じゃなくてショックか?」
「いいや別に。誘ってもらえて光栄だよ。だけど残念ながら、僕には月蝕が見えないからね。同じものを見れないのが申し訳なくて」
 は厚い雲に覆われた先にあるであろう、欠けた赤い月へ視線を向けた。多少の光や近くにある物体の有無くらいはわかるが、遥か遠くに浮かぶ月などこの目が捉えられる筈がなく。そんな相手を誘っても同じ感動を味わう事など出来やしないのに。
「なに、この天気じゃお主以外だって見えとらんぞ。わしの目にも雲しか映っとらん」
「ある意味同じ条件と言うことかい」
「あぁそうじゃ。それにのう、わざわざ見えぬお主を意地悪で誘うほど、性格悪くないぞ?」
「?」
「共に過ごす時間に意義があると感じているからこそ、一緒にいるんじゃよ」
 リリアはそれ以上は語らず、黙ったまま空を眺める。その視線の先の表情を汲み取る事は出来ないが、なんとなく、彼が此処よりも遠くのどこかを見つめているような気がしてーーはなんとも言えない気持ちになった。だが考えたところで、その理由はきっとわからない。それなら、気づかぬ振りをする方が賢明だろう。
「次の月蝕はいつだかわからないけれど……また機会があれば、一緒に見ようか?」
「もう次の約束をするとは、お主も案外せっかちじゃのう」
「もし他に相手がいるなら、もちろん遠慮はするけどね」
「くふふ、気になるならその相手を言い当ててみるといい」
「それはまたの機会に取っておくよ」
 いつもの調子に戻ったリリアに、少しだけ安心する。出会ってからそれなりの時間を共に過ごしたとはいえ、まだリリアはに見せていない面が山ほどあるのだろう。だがそれを暴くのは今じゃない。
 二重に隠れた月も、隠しているのであろう本音も。今はまだ、厚い雲の向こう側でいいのだ。