秘密の果実
ディアソムニア寮の敷地内は、夜の闇に包まれていた。静けさの支配する廊下を、は足音一つ立てずに歩く。寮の管理は寮長の務め。特に学園側から課せられた仕事ではないのだが、彼は寮内の見回りを日課にしていた。
いつも通りのルートを進み、そろそろ見回りも終盤に差し掛かった頃。最後に談話室を訪れたは、何者かの気配を感じて足を止めた。侵入者かとも思ったが……よくよく気配を辿ればなんてことはない。は出来るだけ静かに。気配の主に声を掛けた。
「……リリア、こんな時間にどうしたんだい?」
「か。いや、ネットゲームをしていたらちと小腹がすいたからの。果物でも頂こうと思ってな」
そう言ってリリアは、談話室に常設してある林檎を手に取り一口齧った。すると少し遅れて、甘い香りがこちらにまで漂ってくる。
「それよりお主こそどうしたんじゃ?こんな夜遅くに出歩くなど、寮長も案外ワルじゃのう!」
「残念ながらその逆だよ。見回りをしていたんだ。君のようにこっそりと食料を盗みに来る学生を取り締まるためにね」
「なにおう、言うようになったな?」
お互いに軽口を叩きあう。本来なら下級生であるリリアが上級生、しかも寮長であるに対してこのような態度をとるのはご法度だ。だがはそのようなことに頓着する性格ではなかったし、リリアが長命であることを正しく理解しているので、特に咎める事なく対等に接していた。そしてリリアもまた、彼のその許容を好ましく思っているので、こうして旧来の友人のように会話を楽しんでいるのだった。
「でも、夜遊びはあまりいただけないかな。早く寝ないと明日に響いてしまうよ?」
「数日くらい寝ずとも平気じゃ」
「それは君の妖精としての性質からかな?それともかつて兵役を担った時の名残かい?」
の言葉に、リリアは虚を突かれた顔をする。だがそれはほんの一瞬で、すぐにいつもの含みのある笑顔に戻った。
「くふふ、我らの言葉を真面目に捉えた奴はお主が初めてじゃ」
リリアは林檎をへと放り投げる。綺麗な弧を描いた林檎は、そのままの掌に収まった。齧りかけの部分からは、先ほどよりも強い香気が伝わってくる。
「視力に頼る部分がヒトより少ない分、君たちの事は他人よりも正しく見ているつもりだよ。もちろん、隠している部分もあるだろうし、敢えて見せてくれているだけかもしれないけれど」
はリリアから受け取った林檎を一口齧った。真っ赤な皮の中には、真っ白な果実。外見だけでは理解出来ないものが、この世には溢れている。
「君が嘘をついていないことくらいは理解できるからね。それに、寮生の言葉を信じるのは、寮長として当然の事だろう?」
そう言って穏やかに微笑むに、リリアは困ったような顔をした。
「わしが言うのもなんじゃが、そんなんではこの学園でやっていけないのではないか?ここ治安最悪じゃし」
ナイトレイブンカレッジは世界有数の名門校ではあるが、何故か血の気が多く喧嘩っ早い生徒が多く在籍するせいで治安がやたらと悪い。もちろん寮ごとに差はあり、ディアソムニア寮まだ比較的ましな方だと言えよう。しかしそれでもこの学園で生き抜くには、少々優しすぎるのではないか。
そんなリリアの言外の意図を汲み取ったは、穏やかな口調のままこう返した。
「そうならなかったからこそ、僕は寮長の座に居るんだよ」
今度はが林檎を放り、それは吸い寄せられるようにリリアの手に収まる。すとんと落ちてきた林檎には、歯形が二つ。
「……なるほど。面白い男じゃの」
「君にそう思ってもらえて光栄だよ。あぁ、そろそろ本当に寝る時間だ。夜更かしはほどほどにね、リリア」
「仕方ないの。今日はお主に免じて早めに休むとしよう。おやすみ、」
「ああ、おやすみ」
二人はそれぞれの自室へと戻り、ディアソムニア寮には再び静寂が訪れる。林檎が一つ欠けた談話室には、果実の淡い香りのみが残された。