エイプリルフールに乗ってみようか
平穏な夕暮れ時。
味噌汁の匂いが食欲をそそり、規則的に聞こえてくる包丁の音に思わず頬が緩んだ。
恋人(欲を言えば妻が理想ではあるが)が自分の為に夕食を作ってくれる。なんて幸せなのだろう!
時折キッチンからのぞくエプロン姿は、平凡だが実に夢のある光景だった。
「良いですね、たまにはこういうのも」
普段は骸も調理を手伝っているが、今日は休んでいてとやんわり追い出されてしまった。
何か特別な事でもしようとしているのだろうか。
そんな想像を膨らませ、骸は更に笑みを深める。
「待っているだけ、というのは少々手持ち無沙汰ですが…存外嬉しいものですね」
傍にあった本を手にとり、パラパラとページを捲る。
内容は大して頭に入ってこなかったが、別に構わない。
ただこうして居られる事が幸せだった。
しかし。
「む、骸ぉ…!」
突如穏やかな空気を破ったのは、自分を呼ぶ悲痛な声。
声の主であるは、ヘロヘロとした様子で呼び掛ける。
「ちょっと…助けて……!」
「?!」
慌てて台所に向かう骸。
次いで眼前に飛び込んできた光景に絶句する。
「っ?!何したんですか!!」
まな板の上に置いてある血塗れの包丁と捌きかけの鰆。
は怯えた目でこちらを見つつ、必死に左手を押さえている。
手から滴るのは、真っ赤な鮮血。
「包丁でザクッと切っちゃって……どうしよう……」
落ち着きなく動き回る。
突然の事で混乱しているのだろう。
「まずは消毒です!ほら、手を貸しなさい!」
急いで水を流し手を洗う。
赤くに染まった手は見る見るうちに綺麗になった。
「ん?」
綺麗になった。傷などわからないくらいに綺麗に。
「………」
「今日エイプリルフールでしょ?だからちょっと悪戯を」
けろりとした顔で笑うに、一気に力が抜ける。
心配して損した。
「こんな嘘は止めてください。心臓に悪い」
「いやぁ、最近ドジだドジだ失礼な事言ってるから引っかかるかなーと思って」
「本当の事でしょう。この前だって海老の殻を剥いて指刺したじゃないですか」
「あれは仕方ないじゃん時間なくて急いでたんだもん」
「そうやって慌ててやるから危ないんですよ」
溜め息をつきつつ、包丁を手にとる骸。
「鰆は僕が捌きます。だからは他の調理をお願いします」
「はいはいわかったよ。あ、何だったらデザートにパイナップルゼリーでも作ろうか?」
「要りません」
即刻却下し、骸は鰆の解体に取りかかる。
「全く、エイプリルフールだからってこんな嘘つかないでください。貴女は本当にやらかす人ですから不安なんですよ」
貴女が大切だから、些細な事でも心配なんです。
と、ここ言ったら調子に乗るだろうから、敢えて手厳しい言葉を選んでおくけれど。