期待とチョコレート
冷たい風吹く寒空の下を、ボクは急ぎ足で駆け抜けた。目指すはヒウンシティの噴水広場。待ち合わせによく使われる場所だ。わざわざ今日を指定するあたり、少しは期待してもいいって事なのだろうか。そんな淡い期待は目的地に近づく度に大きくなっていく。
ほどなくして、噴水付近で佇むが視界に入った。とっさに止まり、傍にあったショーウィンドウで身なりを確認。服装よし、髪も変じゃない。帽子を被り直すと、さっきまで急いでいた事を感じさせない素振りでの元へと向かった。
「ごめん、待った?」
「大丈夫。私もさっき着いたから」
いつもと変わらない笑顔で答える。ここまでは普通。問題はこの後だ。
「それで……用事って何、かな…?」
呼ばれた理由を深読みしては、期待と焦りがない交ぜになる。耐えろボク、まだなにも分からないんだから。
「今日はバレンタインでしょ?だからトウヤにチョコをあげたいなと思って」
「!」
ビンゴ。思わずガッツポーズをしそうになる気持ちを抑え、あくまで平静を装う。
「そ、そういえばそうだったね…!ありがとう!」
顔が綻ぶのを必死に抑える。そうしないと今にも緩みきって間抜けな顔を晒してしまいそうだった。
「はい、どうぞ」
手渡されたのは有名な氷菓メーカーのパッケージによく似た箱。胸の中で破裂寸前だった期待が、音を立てて固まったのがわかった。
「ヒウンアイスを売ってる会社が期間限定で作ってるチョコなんだって。買うのに苦労したんだよ?」
「そ、そうなんだ……大変だったね……」
手渡されたチョコに少し落胆してしまった己が憎い。先走って勝手に手作りチョコを期待してたのが悪いのに、何となく残念な気分になってしまうなんて。既製品だって十分じゃないか。
「どうしたの?」
「え?あ、いや…は手作りチョコ作らないのかなーと思って。もっもちろん貰えただけで凄く嬉しいんだけどね?!」
「手作り、ね……」
本命からチョコを貰えたのに落胆するなんて、図々しいにも程がある。慌て取り繕ったが、はボクの言葉を受けて考え込んでしまった。
「私ね、料理をあまり上手くないんだ。作って失敗したら困るから買ったんだけど、トウヤは手作りが良かった?」
「いやそんな事は…!」
思っていた事を当てられ一瞬たじろぐ。これではまるで不満を言ったみたいだ。くれるだけでも嬉しい事には変わりないのに。
「いや!そいいう訳じゃないんだけどっ!は料理上手そうだなって思ってたから、さ……」
我ながら苦しい言い訳だ。だがは気を悪くしたわけでは無いらしく、しばし思案する素振りを見せた。
「そうだねぇ…確かに今のままじゃいけないし…これを機に、料理を習うのもいいかもね」
「そ、そうだね?」
手作りチョコの話から、何故料理を習う話にまで発展するのだろうか。だがそれを指摘できるほど、今のトウヤは冷静ではなかった。
「手作りチョコ、作ってみようか。丁度カフェソーコで料理教室やってたし。行こうトウヤ」
「えっボクも?」
それからボク達はシッポウシティに行き、カフェソーコで料理教室の参加申し込みをした。(ちなみには一緒に参加しようと言ってくれたが丁重にお断りした。参加者は女性ばかりだったからだ)作る料理はブラウニー。バレンタインにはピッタリの、初歩的なお菓子である。
「出来るまで暇だろうから、ヤグルマの森にでも行って来たら?あそこなら特訓できるよ」
「ううん。そんなに時間はかからないと思うし、ここのカフェ居るよ。暇だったらアロエさんの所から本を借りてくるから大丈夫」
「そう?じゃあ頑張って作るから、待っててね」
「うん」
そんな会話をとした後、トウヤはカフェソーコの一角で落ち着かない時間を過ごしていた。
カフェに流れる時間は緩やかなのに、はやる気持ちを抑えることが出来ない。が自分のためにチョコを作ってくれている…そんな事実を噛み締めているだけで、自然と顔は綻ぶ。
しばらくすると、厨房から甘い香りが漂ってきた。そろそろ完成する頃合いだ。
「ねぇ!私のチョコ、貰ってくれる?」
「え?」
視線を本から向ければ、目の前には先にブラウニーを作り終えた参加者達らしき女性たちが立っていた。各々色とりどりのラッピングに包まれた袋を持っている。
「多く作りすぎちゃって」
「ずる~い!私も貰って欲しいなー」
「私も!」
よく見れば参加者のほかに女性店員らしき姿も見受けられる。 一体どうなっているんだ。
「え?なんでボクなんかに…」
「だって君格好いいし。チョコあげたいなーって」
「そうそう!」
あぁ。そういう事か。最近はあちこち動き回ってたからこういった事に遭遇する機会がなくて忘れていたが…自分はそれなりにモテるんだった。
「ありがとう、凄く嬉しいよ。でも…」
好意を向けてもらえるのは単純に嬉しい。でも。
「待ってる人が居るんだ。彼女からチョコを貰うまでは、他の人からチョコを貰う事は出来ないよ」
きっと、は今も頑張ってチョコを作ってくれているのだ。その気持ちを、大切にしたい。厨房の方に視線を向けながら答えると、彼女たちは存外素直に引き下がってくれた。
「そっかぁ、残念」
「そうだよねー、こんなに格好いいんだもん。一人なわけないか」
それから少して、が厨房から戻ってくる。手には先ほどの女性と同じく、可愛くラッピングされた箱が握られていた。
「ごめんね遅くなって。ラッピングしてたら時間がかかっちゃって」
「全然大丈夫だよ」
笑顔で答えれば、はほっとした表情で微笑み返してくれた。
「では改めて。バレンタインのチョコ、貰ってくれる?」
「喜んで」
手渡された箱は、宝物のように輝いて見える。今ボクは世界で一番幸せな顔をしているに違いない。そう心から思えるくらい嬉しかった。
「早速食べてみてもいいかな?」
「もちろん。上手く出来てるといいんだけど」
包みを丁寧に解き、箱を開ければ香ばしい香りが鼻腔をくすぐった。中には一口サイズに切り分けられたブラウニーが入っている。
「さすが。凄く綺麗に焼けてるよ」
「ありがとう。でも味の保証はしかねるかな」
「きっと大丈夫だって」
ブラウニーにフォークを刺し一口食べれば、ブラウニーのほろ苦い甘さが口いっぱいに広がり顔が緩んだ。
「これ凄く美味しいよ!」
贔屓目もなにもなく素直に美味しい。なにより自分ために作ってもらえたという事実は最高のトッピングなのだ。美味しくない筈がなかった。
心からの賛辞を送ると、ははっとして後ろを向いてしまった。
「私、厨房に忘れ物があるから取りに行ってくる」
「あ、うん……」
もしかして、なにか気に触るような事を言ってしまったのだろうか。そんなボクの気持ちに気づいたのか、は去り際にポソリと呟く。
「あのねトウヤ、さっき他の人のチョコ断ってたの、実は厨房から見てたんだ」
「えっ…?」
「……嬉しかった」
「っ?!」
言い終わると同時に急ぎ足で行ってしまう。
一方、置いてけぼりになったトウヤはに言われた言葉の意味を必死に考えていた。
チョコを断っていたのが嬉しかったという事は、もこれを特別なチョコとして考えていたからなのだろうか。と言う事は。
「これって本命…?」
期待していたのは、ボクだけじゃなかったのかもしれない。