満ちた笑顔が見れるなら
「早く早く!」
「も、もうちょっと…ゆっくり…!」
「駄目!日が暮れたら乗れないんだから急いで!!」
全速力で走っては、時折振り返りぴょこぴょこと飛び跳ねて急かす。
あの細い身体のどこにそんな体力があるのだろう。仮にも男の自分がへばっているのを考えると、少しだけ凹む。
そんなNの気持ちとはお構い無しに、はぐんぐんと距離を広げていく。
「もうすぐ7時になっちゃうから急いで!時間過ぎたらロイヤルイッシュ号に乗れなくなっちゃう!」
ロイヤルイッシュ号とは、ヒウンシティから出港する豪華客船の事だ。ワンダーブリッジを巡るサンセットクルーズで、いつも多くの人で賑わっている。
「だいだい…、なんで…今日なんだい…?間に合わないなら明日乗ったっていいじゃないか」
「今日じゃなきゃ駄目なの!……は~間に合って良かった」
なんとか埠頭に辿り着く。時刻は6:55。まさにギリギリセーフだ。
手早く受付を済ませた二人が乗船すると、船は汽笛を鳴らせてゆっくりと動き出した。
「ふぅ、せっかくのクルーズなのに乗る前から息切れしちゃった。私飲み物貰ってくるね。Nはどうする?」
「僕はここで待ってるよ」
「わかった。じゃあ行ってくるね」
「うん」
息切れしたと言いつつどう考えても自分より疲れてないようにも見える。
(多分急かしたお詫び、なんだろうな…)
そんな事を考えながら、Nは流れていく景色に視線を移した。
黄昏に染まる空に、飛び交うスワンナの群れ。
オレンジと青、そして白のコントラストは確かに美しい。だがこの風景ならそれこそヒウンシティからだって見れたはずだ。なのに何故は“ロイヤルイッシュ号”で“今日”にこだわったのだろう。
「お待たせ。Nの分も持ってきたよ」
空の色が藍色に染まり切る直前、戻ってきたの手には案の定飲み物が二つ。
「ありがとう」
「疲れた時には甘いもの、だよね。ミックスオレでも良かったんだけど、走った後はさっぱりした飲み物の方がいいかと思って」
差し出されたグラスに入っていたのはサイコソーダだ。
素直に受け取り一口飲めば、炭酸の爽やかな風味が口いっぱいに広がった。
「どう?少しは落ち着いた?」
「うん、もう大丈夫だよ」
は隣に並ぶと、同じように海を眺めた。
ワンダーブリッジの光に紛れて、夕日が地平線の彼方へ消えていく。
「あのね。今日急いだのは、この後見れる特別なものを見て欲しかったからなの」
「特別なもの?」
「うん。甲板が一番よく見えるから、一緒に来てくれる?」
言われるがままに甲板へと足を運ぶN。
出入り口で一度船員に止められそうになったが、がチケットを見せるとあっさり通してくれた。
甲板には他にも数人の客が居たが、いずれもカップルのようで寄り添うように景色を眺めている。
「絶景スポットなのに、あまり人が居ないんだね」
ましてや甲板など人で溢れていてもおかしくない場所なのに、やけに静かだ。
「それはね…特別なチケットを勝ち取ったからです!」
は先ほど船員に見せたチケットを高々と掲げる。そこには「7人抜きおめでとうございます!」とハンコが押してあった。
「飲み物とってくるって言うのは建前で、実はバトルが本当の目的だったの。倍率高かったから苦労したんだよ?」
曰く、この船はサンセットクルーズが本来の楽しみ方だが、それ以外にバトル出来るという事が売りなのだという。元々は甲板へ出るのは自由だが、今日は特別な日。乗客が押し寄せるだろうという船側の考えにより、今日は特別に『甲板へ出入りする権利』争奪杯が開かれ、それに参加したはもぎ取ってきたらしい。
「…」
「ごめんなさい!でもびっくりして欲しかったの。ほら、あれ見て!」
「!」
促されるままに視線を移すと、そこには吸い込まれそうなほどに大きな満月があった。
何度かこのような月は見たことがあるが、ここまで大きいのは初めてだ。
「今日はスーパームーンなんだって。で、この辺で一番よく見えるのはロイヤルイッシュ号だったわけ」
船はスカイアローブリッジに差し掛かった。橋との対比される事で、月は更に大きく感じる。
「どう?びっくりした?」
「……うん。本当、には敵わない」
今日じゃなきゃ、とあんなに言ってた理由はこれだったのか。彼女には驚かさせられてばかりだ。
「Nとね、この景色が見たいって思ったらいてもたってもいられなくて。急かしちゃってごめんなさい」
「いいや、お陰でこんな綺麗な景色が見れたんだ。感謝するよ」
「そっか、ありがと」
月に照らされるこそばゆそうな笑み。この笑顔が見れるなら、多少の無理には目をつむろう。
そう思いながら、Nは昇りゆく満月を見送った。