共に心も舞い上がれ



「お花見にでも行こうか」
ポケギアを通して聞こえるゲンの声は、いつもと変わらない穏やかさ。
まるで「今日も天気がいいね」とでも言っているかのような調子で発せられた言葉は、あまりにも季節外れのものだった。





久しぶりに逢った恋人は全く変わっていなかった。服も容姿も、纏う空気でさえも。まるで記憶からそのまま抜け出してきたかの様子に、は頬を緩ませる。
「久しぶり」
「あぁ、久しぶりだね」
それから月並な話をして、向かった先はテンガン山。彼いわく「絶好のお花見スポット」があるらしいのだが、今は晩春。いくら山でも桜の時期は過ぎているはずなのだが。
「ねぇゲン。本当にお花見出来るの?」
「大丈夫だよ。丁度今が見頃だ」
「……そう?」
信用してないわけではないのだが、どうしても疑ってしまうのはこの天気のせいだろうか。春よりも夏の涼やかさに近い空気が、桜などもう散ったと告げているように感じるのだ。
木立の中を迷わずに進んでいけば、いつのまにか道は舗装されたものではなく獣道に変わる。足元に咲くすみれが、テンガン山にも遅い春が訪れていることを語っていた。休憩がしたいと感じる頃、ようやくゲンの足が止まる。
「ここだよ」
「……!」
誘われるまま開けた場所に歩みを進め、思わず息を呑む。
視界いっぱいに広がるのは藤の群生。こんなにたくさ自生しているのは初めて見た。淡紫色や白色の可憐な花が、風に揺れてひらひらと舞っている。花見イコール桜ではなかったのだ。尊く咲き誇る藤は、ともすると桜よりも風情がある。
「綺麗……」
わざわざ徒歩でここまで登って来たのはこのためだったのか。空を飛んで来たらこの感動は味わうことは出来なかっただろう。
「修行の最中に偶然ここを見つけてね。君に一番最初に見せたくなったんだよ」
紡がれた言葉は特に飾られてはいないけれど、だからこそすんなりと心に染み込んできた。
「ありがとう」
心からのお礼を述べる。こんなに美しい景色を見ていたら、内側に籠もっていたもやもやとした気持ちがいつの間にか消えていたのがわかった。
「こんなに素敵な景色を見てると、やなことも全部忘れちゃいそう」
そう傍らにいるゲンに笑いかければ
「良かった。それが目的だったからね」
と、優しい微笑みを返してくれた。
「目的………」
あぁ、そうか。
いつもは奥手、と言うよりこういったことに気が回らない(本人に言ったら失礼だと言われそうだが)彼がお花見に誘ってくれた理由。彼なりに心配してくれていたのだ。

最近なかなか逢うことが出来なかったのは、がグランドフェスティバルに挑戦していたから。
一緒に居ると甘えてしまうから、と大会中はゲンに逢うことを自粛していた。ゲンもそれには了承してくれていた。だが結果はセミファイナルまでいくも、健闘むなしく惜敗。この前の電話の当初の目的は、それを伝えるものだった。

「で、セミファイナルまでいったんだけど、負けちゃった」
「中継で見てたよ。頑張ったじゃないか」
「うん、ちょっと残念だったけどね。でもこの悔しさをバネにして次を目指せばいいし……今回の事で自分に何が足りなかったのか分かったから、良い経験が出来たと思う」
「それなら良かった」
「うん……」
「……そういえば、このあと暇な時間はあるかい?」
「えっ?まぁ次のコンテストまでには結構時間があるけど……どうして?」
「なんだったら、お花見にでも行こうか」

心配させないよう明るく話していたつもりだったが、見破られていたらしい。
「……さすが波導使い様、人の心の機微を読むのはお手の物ってことね」
苦笑する。これでは何も隠し事が出来ない気がする。その想いに重なるように、それでもいいかもしれないと思う気持ちもあるが。
「さすがにポケギア越しじゃ分からないさ。でもそうだな、分かったのは…君だからだよ」
先ほどと変わらない笑みで答えるゲン。
「そっか」
見破られてもいいやと思うのは、きっと貴方がそうやっていつも微笑んで私の事を受け入れてくれるから。全てを受け入れてくれるから。
淑やかに薫る風情。永久を謳うかのように咲く藤が、蒼穹に引き寄せられるように舞いあがった。