長い歴史を紐解くと、時代の節目には必ずと言っていいほど大きな争いが起きている。その例に漏れず、あの時も世界中で戦の火種がくすぶっていた。
だが、あの時はそれが異常な程長かった。まるで白紙を黒に染めるように、戦火はいたる所を浸食した。人々は疲弊し、いつ終わるとも知れぬ戦に身を投じる。そんな暗黒の時代が確かにあったのだ。
それが、ある日を境に唐突に止んだ。まるで夢から覚めたように、人々は争う事を止めた。互いを憎しむ理由など無い事を、ようやく思い出したのだ。
その後の風の噂で、1人の人間が命を賭して世界の流れを変えた事を知った。あの娘に逢ったのは、それから程無くの事だった。





「お願い…!出てきてディアルガ…!!」
悲痛な面持ちで、必死に呼び掛ける娘。神殿の中央に鎮座してある金剛玉に、今にも泣きそうな顔が映った。
争いの渦中で神に縋るのはよくある事だが、今は完全にとは言えなくとも平和だ。なのに何故。そんな疑問を抱きながら、ディアルガは応えた。
「私に何の用だ、人間よ」
空間が歪み、厳かな雰囲気と共にディアルガは少女の前に姿を現す。
「お願いディアルガ…時を戻して欲しいの…!」
「……?」
娘の口から出た言葉は、予想だにしないものだった。
「時を戻す…?お前はまた世界を争いの時代に逆戻りさせたいのか?」
「違うっ!!」
即座に否定し、強い意志を灯す瞳でディアルガを見据える。
「私は……彼を生き返らせたいだけ…!」
拳を握りしめ唇を噛む。そうしていないと、きっと箍が外れてしまうのだろう。瞳には今にも溢れだしそうな程涙が溜まっていた。
「アーロンが犠牲になる必要なんて、無かったのに……!」
アーロン。
きっとこの娘の想い人なのだろう。ならば彼の者は先代の戦で命を落とした兵士か何かか。
「あんなに世界を愛した人は居ない!だからこそ、命を賭してまで世界を救ったのに…!彼が居なくちゃ、意味無いの……!」
「世界……」
風の噂で聞いた話。
『1人の人間が命を賭して世界の流れを変えた』
もしその事が本当ならば――きっと、この娘が言っているのはその青年の事。
「世界がどうなってもいいだなんて思わない。我が儘なのもわかってる…!でも…彼が命を賭けなくてもいい方法だってあったかも知れない…!」
堪えていた涙が溢れる。だがその瞳にはまだ意志が消えておらず、力強い色を保ち続けている。不思議な娘だ。
「だからお願い…!力を貸して…!」
零れおちる涙に感化され、自身の心まで引き裂かれるような感覚に陥る。
――助けたいと、思った。
だけど。
「時を司るものと言えど、改変された世界の出来事を戻す事は……出来ない」
死者を蘇らせるだけなら可能だ。それが理に触れる事だとしても、不可能ではない。だが、彼の者は自らの命と引き換えに世界を変えた。それを戻すとなると、同じか、それ以上の対価を支払う事となる。賭けるのは、世界を変えうるだけの価値があるもの。一度目が人間一人の命で可能だったとしても、二度目が同じ保証は無い。
「残念だが……私にはどうする事も出来ない」
ディアルガの言葉を受け、娘は初めてその瞳に絶望を映した。だがそれはすぐに霧散し、澄んだ水面のように穏やかになった。
「………やっぱり、ディアルガでも駄目なんだ……」
娘が俯くと、また瞳から涙が零れた。
「本当は、心の何処かでもう無理なんじゃないかって思っていた………だけど少しでも希望があるのなら、それに縋りたかったんだ」
「………」
「無理を言ってごめんなさい」
力無く微笑む娘。
「………」
己の無力さが浮き彫りになる。神と呼ばれしモノでも、廻る定めには抗えない。ただ他のモノよりも理を曲げる事へのリスクが小さいだけで、それ以上の事など出来ない。所詮はその程度の存在なのだ。人も、神でさえも。
「……生命は廻るものだ」
「廻るもの……?」
思わず零れた言葉を拾い、娘が顔をあげる。
「お前の魂が変わらずに在れば、また廻り逢えるだろう」
役目を終えた魂は廻り、また新たな生を受ける。それはどんなものでも同じこと。世界を変えた存在とて、その営みから外れることはないだろう。ならば。
「共鳴した魂は惹かれあう。お前の心が変わらなければ、必ず」
必ずなんて保証はどこにも無い。それはこの娘もわかっているだろう。それでも、今はこの言葉を使わずにはいられなかった。
「……ありがとう、ディアルガ」
まだ完全にとは言えないが、少し明るくなった娘の表情。瞳にはまた先ほどとは違う色の、美しい光が灯っていた。
「貴方にそう言ってもらえて良かった」

その後娘がどうなったかは知らない。だが、あの後緩やかだった世界の流れが一気に加速した。 未だに蟠りのあった平和が、瞬く間に本当のものとして定着していったのは――もしかして、あの娘の力だったのかも知れない。

2013.05.25 掲載
2021.05.19 加筆修正