苦い紅茶は悪夢の味
部屋の中なのにお日様の日差しが心地よくて、不思議な花の歌を聞きながら過ごす時間は何にも耐え難い贅沢な時間。目の前には色とりどりのクッキー、ふわふわのケーキ、宝石色の形をした砂糖菓子。幸せを凝縮したようなこの場所は、何もかもが完璧――ただ一点、カップの中身を除いては。
「………」
見た目はとても美味しそう。見た目は。でも、この中にはとってもとっても恐ろしいものが入っている。
「………」
いいえ、こんな所で二の足を踏んでいてはダメよ。だってわたくしは愛の国に生きる、優しくて素敵なお姫様。愛する人が手ずから入れたものを、飲めなくてどうするの。
「」
「大丈夫です飲めますわ」
「別に無理して飲む必要はありません」
「無理じゃないです少しだけ勇気が必要なだけで」
「勇気が必要なほどに飲むのが嫌だと」
「そんなことありませんわ。だって愛しい愛しいあなたの入れた紅茶ですもの。飲むのがもったいないんですの」
「ではそれが空になったらまた入れて差し上げます」
「それはとても嬉しい申し出ですが、最初の一杯は大事にしたいので」
「言い訳は結構」
ため息を一つ吐き、フォリシルクは私の前に置いてあった紅茶を下げてしまう。
「あっ…」
あからさまに寂しそうな顔をするに、フォリシルクは更に面倒そうな顔をする。
「そんな顔をするなら始めから飲めばいいでしょう。あなたは一体何をしたいのですか」
フォリシルクの言葉は最もだ。飲みたいなら早く飲めばいい。でも飲めないのだ。理由は単純明快。
「だって…初めてあなたが入れた紅茶、あまりに苦くて……あの味が忘れられませんの!」
そう。彼の淹れる紅茶は凄まじく苦いのだ。あの味は忘れたくても忘れられない。飲んだ日の夜は紅茶のお化けに追いかけられる夢をみた。それくらい苦かったのだ。
「だからそれをどうにかするための訓練として、あなたが自ら試飲役を買って出たのではありませんか」
こんな苦い紅茶はもう二度とアリスに飲ませるわけにはいかない。そう思ったは彼の練習相手として名乗りを挙げたのだ。そこまでは良かった。
「それは、そうなのですが…でも身体が言うことを聞きませんの」
いくら心で頑張ろうとしても、身体がついていかないのだ。大事なアリスのため、そして愛するフォリシルクのため。なのに駄目なのだ。これはもう本能に刻まれている恐怖と言えよう。
「ほう、ワタシの事を愚弄するのはあの馬鹿ネコだけかと思っていましたが、あなたも大概らしい」
「いえそんなことは!」
「では早く飲みなさい。仮にもあなたはワタシに恋する身、それくらい朝飯前でしょう」
「うっ…」
恋慕う相手言えど、それはあくまでアリスに生み出された時の設定であってわたくしの心はそこまであなたを求めてなどいない…と言えればいいのだが、フォリシルクの有無を言わさぬ視線に言い訳は全て呑まれてしまう。
それは恐怖。そして確かなときめき。あぁなんと厄介な生まれなのだろう。
「では、頂きま…す……」
震える手を伸ばし、白磁のカップに触れる。淹れたての紅茶の熱が伝わり、手のひらがじんわりと熱くなる。同時に心は前回の味を思い出し、一気に冷えて怯え出す。
「………」
「………」
若干涙目になりながら、は紅茶を口元に運ぶ。その表情を見たフォリシルクは、何かを思いついたような顔をした。だがは気づかない。
「……待ちなさい。そこまで辛いのでしたらワタシがお手伝いして差し上げましょう」
「え…?」
瞬間、カップを奪われる。何が起こったのかわからず目を白黒させていると、フォリシルクは紅茶を自らの口に含み
「っ?!」
の口元へと運んだ。ゼロ距離で見つめられ、の心臓は壊れそうなほどに胸を打つ。触れる柔らかな唇の感触。こぼさないようにと固定される頤。そして口腔内に入ってくる、悪夢。
「?!!!」
甘やかな気持ちも全て吹き飛ばす劇物のような味。この世のものとは思えない苦味。なのに逃げられない。が紅茶を飲み干すのを確認すると、フォリシルクはようやく唇を離す。
「どうです?前回よりはマシな味になったのでは?」
勝ち誇ったようなフォリシルクの顔。その顔にすらときめくのだから、本当にどうしようもない。
「………前回よりも毒々しい味でしたわ…!」
皮肉を込めてそう返したが、真っ赤に染まった頬を見れば答えは明白だろう。どうしようもなく悔しくなってはそっぽを向くが、フォリシルクはその反応に気をよくしたのか満足そうに微笑む。
「毒、そうですね。あなたには少々刺激が強かったかもしれませんね」
あぁ今夜も悪夢を見るのだろう。そして夢に出るお化けはきっと、今目の前に居る男と同じ顔をしているに違いない。だってこんなに苦くて毒々しい紅茶の味、絶対に忘れられるはずがないのだから。