ひと手間の幸せ
二人用の土鍋、よし。白菜を使うレシピもいくつか用意した。使う材料も昨日買ってきたし、飲み物やデザートに至るまで完璧。そこまで揃えて、はようやく一息ついた。
ウキョウ曰く、先日赴いた撮影先のクライアントが写真の出来を気に入り、お礼にと大量に白菜をくれたのだという。旬のものだから早めに食べた方がいい、だが一人で消化するのは困難な量だった為に白羽の矢が立ち……今日は二人で鍋をするに至ったのである。
「あとはウキョウさんが来るのを待つのみ……」
そこまで呟いて、タイミング良く玄関のチャイムが鳴る。は急いで扉を開くとウキョウを中へと招き入れた。
「いらっしゃいませ、ウキョウさん」
「お招きありがとう、。はいこれ」
「すごく大きい白菜ですね……」
「うん。1玉くらいなら俺一人でもなんとかなったんだけど、こんなにいっぱいはさすがに無理だし。かと言って冥土の羊のみんなに配るには少ないから困ってたんだよね」
それから台所で下処理を済ませると、二人はリビングへと鍋を持っていく。
「後は煮えるのを待つのみですね」
「楽しみだね~…あ!そうだ!俺良いもの持ってきたんだ」
「良いもの、ですか?」
「鍋って言ったらやっぱりこれでしょ」
そう言って袋から取り出されたのは、真っ赤なパッケージの物体。
「ウキョウさん、それ……」
「キムチだよ。鍋に入れようと思って」
「二人分の鍋、ですよね?」
二人分の鍋以上のサイズなのは明らかだ。正直業務用にしか見えないし、そんなものどこから買ってきたのだろう。
「前は却下されちゃったけど、今回は入れたいなって。入れた方が絶対美味しいから!」
「うっ……」
訴えるような目で見つめられれば、安易に拒否など出来なくなる。
「そっ、そう、ですね。たまにはキムチ鍋も良いかもしれませんね!」
「良かった~!また拒否されたらどうしようって心配だったんだ」
「ウキョウさん……」
味覚音痴と言われている人ではあるが、ウキョウにだって好きな味があるのだ。正直辛味はそこまで得意でないが、今回くらいは好みの味付けにしてあげるべきだろう。はそう結論付け
「じゃあ入れるね~!」
「?!!」
…たはいいが、その考えは一瞬で消し飛んだ。ウキョウは封を開けると、中身を全て鍋に投入したのだ。瞬く間に鍋が赤く染まる。
「ぜ、全部……」
「いっぱい入れた方が美味しいよ!早く出来ないかな~!」
ニコニコと微笑むウキョウとは裏腹に、の顔からは表情が消えた。
10分後。
鍋はもはやキムチ煮込みになっていた。漂ってくる匂いさえ辛い。
「………」
血の気の引いた顔でそれを見つめる。一方、ウキョウは変わらぬ笑顔で鍋を取り分ける。
「うん、すっごく美味しそう!はい、」
「えっ……あ、ありがとうございます……」
「遠慮しないでいっぱい食べてね!」
「はい……」
「いただきまーす!」
「い、ただき…ます……」
白い小鉢に盛られた赤い鍋のコントラストに目眩がした。香りも見た目も強烈だし、本当に食べられるのだろうかと疑いたくなる一品である。だがウキョウはそれを平然と口に運ぶ。
「………」
さすがにここまできて食べないわけにはいかない。もしかしたら案外いけるかもしれないし、まずは一口食べてみよう。は意を決して箸をつけた。
「……?!!?!」
正直辛い。見た目より辛い。よく口の中が火事だという表現があるが、の口腔内はまさにその状態だった。
だがそれをウキョウに悟られるわけにもいかず、は必死の思いでそれを飲み込んだ。
「やっぱりこれくらい辛くないと美味しくないよね!」
「?!」
「この辛味が堪らないよ!」
「?!!」
何を言ってるんだこの人は。本気で言ってるのか。辛味は元々味覚ではなく痛覚だから、痛みに耐性のあるウキョウが辛味に強いというのは頷ける。だがいくらなんでも辛すぎる。
「?」
「お、美味しい、ですね…」
「だよね!俺、味音痴だけどこれは自信を持ってオススメ出来るメニューだと思うんだ!」
絶対オススメしない方がいいです!とも言えず、はただただ無言を貫き通した。
そこからの記憶は正直ない。ウキョウの言葉に適当な相槌をうち、咀嚼と嚥下を繰り返していた気がする。
「………おい」
「………」
「おい、聞いてんのか?」
「え……あ。ウキョウさん……」
鋭い眼光に睨まれはようやく意識を現実に戻した。いつの間にかもう一人のウキョウと変わっていたらしい。
「俺の機嫌が随分いいみたいだから何してんのかと思ったら……なんだよこの鍋」
「い、一応キムチ鍋、です……」
「はぁ?もはや拷問みたいな色してんじゃねーか」
「っ!」
ウキョウの言葉を受け、の瞳がみるみるうちに潤む。
「もう無理です食べられません…!」
「?!」
たがが外れたように泣き出す。突然の事にウキョウは戸惑う。
「い、いきなり泣いてんじゃねーよ!ってかお前、まさかこれ食ってたのか?」
「だってウキョウさんがいっぱい入れると美味しいって…!」
「俺の味覚に合わせるとろくなこと無いって知ってんだろ」
「でも笑顔でオススメされたら食べるしかないじゃないですか…!」
「何でも受け入れればいいってもんでもねーだろ……」
呆れた表情のウキョウ。同じような目に何回も遭ってる筈なのに、どうしては学習しないのか。
「お前もしかして俺より馬鹿だろ」
「そんな事ないです。と言いたいところですがこの状況じゃ言い返せませんね……」
ウキョウの事となると普段の要領の良さは何処へやら。余裕が無くなるのかなんでもカラ回りしてしまう。まぁ察しの悪いウキョウでもその理由はわかっているのか、これ以上の追求は無かった。
「で、どうすんだよこの鍋」
量が減ったとは言え鍋にはまだ大量のキムチ煮込みが残っている。さすがにこのまま食べるのはもう無理だろう。
「ウキョウさんには申し訳ないですが…少し薄めて雑炊とかどうでしょう。卵とかチーズを入れたら味もまろやかになって普通に食べられると思うんです」
幸いご飯なら冷凍して保存していたものがあるし、鍋に使えそうなものはあらかた用意済みだ。まさかこんな形で使うとは思わなかったが。
「せっかくだからウキョウさんも一緒にどうですか?」
「まともな味になるんだったら協力してやる」
「腕の見せ所ですね」
それから味を整え、キムチ風雑炊になった鍋は思った予想以上の変貌を遂げた。適度な辛味は食欲を促進させ、鍋の中身はあっという間に空になる。
「あれからよくここまで持ってきたなお前」
「ウキョウさんに気に入ってもらえるよう頑張りましたから」
「……美味かった」
ぽつりと感想を述べるウキョウに、心がほっこりと暖かくなった。
「お口に合って良かったです」
もう一人のウキョウさんのこんな顔が見れるなら、たまにはこんな食事もいいかもしれない。そう思いながら、は穏やかに微笑んだ。