揺らぐ心



「成人男性2人で未成年の女性を連れ歩くなど、むしろその方が問題行動だろう」
「あーもう、うるさいなぁ……ケンだって彼女とドライブって提案したら喜んでたくせに」
「?」
少し離れたところから聞こえてきたケントとイッキの声。間には困った顔の彼女がいた。
「どうかしたんですか?」
「あぁ丁度いいところに。今から信濃まで蛍見に行こうって話してたんだけどね、ケンが相変わらず固いこと言うんだよ」
「イッキュウ、君が軽く物事を見過ぎているのが悪いんだぞ」
「すみません話が全く読めないんですが……」
「あのね、私とケントさん、イッキさんの三人でこれから車で信濃まで蛍狩りに行こうって話になったの。でも長距離の移動だし、日付を跨ぐだろうから色々心配だって」
更に困惑する私に、さりげなく助け船を出す彼女。なるほどそういう事か。
「で、相談なんだけど。もしよかったらも一緒に来てくれないかな」
「私も未成年ですよ?」
「そうだぞイッキュウ。女性が増えたところで根本的な解決には至っていない」
相変わらずの反応にイッキはため息をついた。
「あのねぇケン、僕は彼女の為を思って言ってるんだよ?女友達と一緒に居れば少しは安心でしょ」
「だが女性を深夜、動く密室である車で連れ出すのは」
「だからだよ。密室って言っても僕たち4人居るんだから、そんなに気にしなくてもいいんじゃない?」
「………」
まだ何か言いたげなケント。確かに傍から見れば不安要素の残るドライブであるが、関係は友達同士に仕事仲間。そこまで気にするようなものではない気もするが。
「……例えばさ、僕が彼女やに手を出そうとしたら、ケンは止めるでしょ?」
「当然だ」
イッキの問いに、ケントは至って真面目な顔で答えた。それよりも例えに使われた事例の際どさに、こちらが身構えてしまう。
「逆に、ケンが二人に何かしようとしたら……多分僕も止めると思うし。お互いにストッパーになればいいんだよ。ほら、なんの問題もない。ね?」
「詭弁だな」
白熱しかけている男性二人の会話についていけず、こちらは目を白黒させるばかりだ。なぜ蛍狩りのドライブにここまでの議論が必要なのか、正直理解に苦しむ。
「ねぇ」
「?」
同じく置いてけぼりにされている彼女にだけ聞こえる音量で囁く
「貴女はどうしたい?1人で行けるなら私は頃合いを見て帰るし、もしついて来て欲しいなら一緒に行くよ」
「私は……」
彼女はしばし視線を宙に彷徨わせながら答えを探す。いくらなんでも考え過ぎなのでは…そう思った頃、彼女は結論を出した。
「私、行きたい。でも1人はちょっと不安だし、も一緒について来てくれないかな」
「そっか。じゃあ一緒に行こうか」
彼女の手を取り、議論を続ける二人に声を掛ける。
「イッキさん。私もご一緒したいです」
「良かった。が来てくれるって事は、彼女もオッケーって事でいいのかな?」
「そのお誘い、受けて立ちます」
「意気軒昂で結構なことだ。では君の家を経由して私の家へ向かおう」
こうして、私たちは信濃まで蛍狩りに行くことになったのだった。





微妙な空気の車内を2時30分耐え切った後。
着いたのはかなり山奥のロッジだった。チェックインを済ませ、山へと歩を進める。目指すは奥にある小川の支流だ。
「暗いってのは予想してたけどここまでとは思ってなかったなぁ……」
「こんな深い森じゃ月明かりも乏しいから先が全然見えないですもんね……」
「懐中電灯も慰め程度で、物を見るほど役には立たないな。気をつけないと遭難しそうだ」
「あ、そこ。木の根が出てるから気をつけて」
「わ!本当だ、ありがとう
「どういたしまして」
「へぇ、って夜目がきくんだ」
「これくらいの暗さだったらそれなりには」
「僕なんてあの案内板でさえ見えないのに。凄いね」
他愛のない話をしながら注意深く進む。途中のサービスエリアで懐中電灯を売っているのを見た時はなぜこんなものがと不思議に思ったが、買っておいて良かった。
「……あれ」
「どうしたイッキュウ?」
「まずいな。懐中電灯の灯りが小さくなってきた」
イッキの持つ懐中電灯の光は、ケントのものよりも若干弱まっているように見えた。
「何、不良品か?」
「単純に電池切れじゃないかな。最初から入ってる電池って、残量少なかったりするから。そっちは大丈夫?」
「特に問題はないが、今の話ではいつ切れるかわからんな」
「それってつまり」
「このまま2つとも電池が切れたら、私たちはここで遭難するってことになるのかな」
の言葉に彼女は青ざめた。肌寒く暗い中一夜を過ごすのはいくらなんでも無謀である。
「だったらもう戻った方がいいんじゃ…」
「じゃあ僕とが一緒に山荘まで戻って、売店で新しい電池を買ってくるよ。だから君はケントと待ってて」
「私が彼女とここで?」
イッキの申し出に、ケントは眉をひそめる。
「万が一全員遭難したら困るでしょ。それにいざという時の判断力は僕よりケンの方が上だからさ。本当はも置いて行ったほうがいいんだけど……懐中電灯が切れちゃったら、僕が遭難する事になるしね」
山荘からここまで30分、それまでに電池が切れてしまう可能性は大いにある。リスクは少ないに越したことは無いし、複数で行動した方が安心だろう。
「なるほどな。ではこちらの懐中電灯を持って行くといい。気休め程度だがその懐中電灯よりは電池が残っているだろう。いくら夜目が効くと言っても、あるに越したことはない」
「わかった、じゃあそっちのを借りてくよ。君とはそれでいい?」
「大丈夫です」
「はい。任せてください」





懐中電灯を交換し、イッキはと共に山荘までの道を戻る。一度通った道とはいえ、こうも暗くては足取りもおぼつかない。
「そっちは大丈夫?」
「はい。イッキさんがライトを合わせてくれてるので歩きやすいです」
「こっちの電池もいつ切れるかわからないから不安ではあるんだけどね。その時になったら後は頼むよ、
「わかってます。そのために同行してるんですから」
「僕としては、それ以外の意味合いもあったけどね」
「………」
イッキの言葉にの歩みが止まる。
「どうしたの?そんなに身構えなくて大丈夫。何もしないよ。今は、ね」
「今は、ですか」
「こうやって君とゆっくり話す機会が欲しかったんだ」
「……わかりました、話だけなら聞きます」
イッキは気づいているのだ。二人きりになる事を避けていた事を。
「ねぇ、君は僕をどう思ってる?バイト仲間とかそういうのじゃなくて、1人の男として」
「恋愛の観点で見ているか……好きか、って事ですか?」
「直球でくるね……でもそうだな、他の女の子みたいに僕に恋をしない君は僕の事をどう思ってるか聞きたかったんだ」
暗がりでイッキの表情は読めない。だが、茶化して言っているのではない事は確かだ。
「僕は君にとって恋愛の対象じゃない。それは残念なような、でも凄く嬉しいような……妙な気持ちなんだ。僕は自分が君をどう思っているのかよくわかってないんだよ」
「………」
「でも君に対して興味はあるのは確実。それが君への純粋な好奇心からくるものか、そうでないのか……どっちなのかわからない」
の頬に手を添えるイッキ。その手はほんの少しだけ震えているように思えた。
「だからね、の気持ちを聞いてみたくなったんだ」
「………」
の瞳が揺れる。
「………イッキさんはみんなに優しく接してて…凄く、良い人だと思います」
一つ一つ言葉を選ぶように、はゆっくりと言葉を紡いだ。
「そこが素敵で、例えイッキさんに目の力が無くたって恋をする女の子はたくさん居たと思います」
「………」
「でも、駄目なんです」
雲の切れ間から月が覗く。月明りに照らされたの表情は、ともすると泣きそうだった。
「私は、貴方に恋しちゃ駄目なんです」
本当は気づいている。繰り返す出逢いの中で、いつの間にかの中にはイッキに惹かれる気持ちが芽生えていた。それはウキョウに惹かれるものとはまた別の、切ない恋心。
「………その理由を教えてくれる気は無いんだろうね」
暫しの沈黙の後、イッキはそっとを抱きしめた。
「?!」
「ごめんね。早く行かなきゃいけないのはわかってるんだけど、今どうしても君を抱きしめたかったから」
回された腕に力が込められる。でもそれは決して無理矢理ではなくて、抵抗すればすぐに振り解けるような力加減。
「イッキさん、ズルいです……」
逃げると知った上で、逃げ道を用意してくれる。そんな優しさが、これ以上ないくらいに狡い。
「ズルくてもいいよ。こうやって君を抱きしめられるならね。でもまぁ、ずっとこのままだとケンと彼女が困るからそろそろ行こうか」
そう言ってあっさりを離すと、自然な動作で手を差し伸べる。
「手、繋いでいかない?これくらいなら良いでしょ?」
「………わかりました」
素直に手を添えれば、イッキは嬉しそうに微笑む。
「あ、雲が切れたから月明りで道が少し見やすくなった」
「………」
「月が綺麗だね」
「……はい」
淡く浮かぶ月の下、繋いだ手の温もりがもどかしくて。少しだけ明るくなった道筋は、二人の未来を暗示しているようだった。